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  2008年 11月 8日 (土)

説明のできない大切なもの


当院の事務室は、診療所の2階にあり、カンファレンスや申し送り、看護記録などの業務に使います。
ここまではどこも同じだと思いますが、当院の場合はなにせ賑やかです。

朝の出勤直後から訪問に出掛けるまで、一旦訪問から帰ってきたお昼の前後、夕方から帰るまでと常に笑い声が絶えません。

電話をしていても相手の話が聞こえないぐらいうるさいので、電話している者が場所を替えて話す始末です。
しかし、誰一人として文句や注意を言いません。

それは、その賑やかさが大切だっていうことを皆が理解しているからです。
「何で?」と聞かれても説明はできませんが、何しろ大切なのです。

私の立場であれば注意するべきでしょうが・・・
ここだけの話、私もそんな賑やかさを大切に思っている一人だからです。

by涼賀





  2008年 11月 8日 (土)

ありがとう


Bさんは肺がんの患者。会社の社長さんだった。
訪問を開始して約1か月。
そろそろ食事が取れなくなってきた。妻も、息子娘もBさんの死を受け止められている様子なので、訪問の帰り際、別室で「お別れの話し」をした。

この時期『もうだめだ』『後は頼む』『ありがとう』と本人が言う時があります。そんな時「そんな事いわないで」なんて言わずに正面から受け止めましょう。
「ありがとう。いままで楽しかった」「後のことは心配ないよ」なんて返事が出来たらいいですね。
話しが出来なくなって初めて皆さん思うのです「こんなに急だと思わなかった」「お別れの話しをしたかった」と。チャンスを見逃さないように。

「うちの人は私に『ありがとう』なんていったことありません」(笑)と妻。

その二日後、前日から布団から起き上がれなくなったBさんのお宅に訪問した。
呼吸苦が強いはずだが、苦しいと言わない。痛いともいわない。飲食もできないし、尿も少ししか出ないのに訴えはない。
ようやく開いた口から出た言葉は
「体がいうこときかなくなっちまった。畜生!」
自分ですべてのことをやってきた社長のBさんは最期まで自分のことは自分でやりたかったのだろう。

Bさん、妻、娘の前で話す
「ふらふらになってもトイレにいきたい。Bさんらしいじゃないですか。自分でするべきことは自分でやりたいんです。危ないから歩かない方がいいと思うのは家族の当然の気持ちですけど、大切なのは本人の意志を援助することだと思います。何もしてほしくないのだから何もしない方がいいんです。
何かしてあげたいけど我慢しましょう。僕らも医療者です。いろいろ楽にしてあげたいけど、本人の意志を重視して何もしないことも大切です。ただ近くにいてあげてください。それだけでいいんです。」
Bさんが深くうなずいた。そして
『先生 ありがとう』
と手を出した。握手するといつもよりしっかり握る。離さない。そして俺の顔を見つめながら『ありがとう』を繰り返す。
自分の言いたいことを俺が代弁したからなのだろうと思った。そして、その握手の力強さがだんだんと「お別れの挨拶」に思えてきた。
そうだ、チャンスだ。「お別れの挨拶」だ。
「みんな(妻、娘)には『ありがとう』といわないんですか?」
すると、体の向きをさっと変え、妻の方に向かい手を出した。
そして握った手をぐいと引き寄せ

『ありがとうっ!』・・・・妻の目を見ている。
やはり、お別れの挨拶だ。・・・しばらく『ありがとう』を繰り返した。

妻、娘、俺は涙した。もちろん本人も涙している。

しばらくすると娘の方を向いた。娘が右手にとびついて泣きじゃくる。
『ありがとうっ』をゆっくり繰り返す。 
そしてさらに優しい表情になる。
泣きじゃくる娘の頭をゆっくりなでながら『ありがとう』と、さらに優しい口調で繰り返す。
さっきまでの呼吸の苦しそうな、無口の病人ではない。
単なる父と娘だった。

ようやく声の出せる状態になった娘がBさんに話しかける。
「いままでありがとう。ほんとうにありがとう。私は大丈夫だからね」
Bさんは『大丈夫。 大丈夫。 ありがとう。 ありがとう。』と娘の頭をなで続けた。

体が言う事を聞かない。最期の最期まで自分でトイレに行きたかった人。痛みも呼吸苦も訴えない。死の恐怖もない。そういえば初対面の時から言っていた『しょうがねえよなぁ』と。だから昨晩から動けなくなったBさんはもうだめだと思ったのだろう。そして『ありがとう』とお別れの挨拶をしたのだろう。

帰りがけに俺は家族にいった。
普通の人ならあと1週間位でしょう。でもBさんなら今日か明日なんじゃないでしょうか。
急だと思わないで下さい。動けない状態で生きていたくないとBさんが思っていると思います。もし今日明日だったら「Bさんらしい」と思ってください。

そして、翌日からコミュニケーションが取れなくなった。
正気な状態での会話は『先生、ありがとう』がやはり最期だった。
そして翌々日に息をひきとった。

「あの人が『ありがとう』なんていったなんて信じられません」と満足そうに家族は言った。

by緑平





  2008年 11月 6日 (木)

医師であることを忘れていました


先日高崎市で群馬県主催の「在宅ホスピスケアを進めるために」という企画があった。
平日の夜にもかかわらず、私の講演一時間、ワークショップ一時間というハードな企画に約100人の皆さんが最後まで熱心に参加してくれた。
また今回は24人という大勢の診療所医師が参加してくれたことが特徴であった。
この種の企画の参加者は殆どが看護師さんたちで占められ医師の参加はごく少数、というのが通例であった。
「在宅ホスピスケア」に関心を持ち、自分も参加したい、あるいは参加せざるを得ないのか、と考えている医師が沢山いてくれたのはうれしい限りであった。
後段のワークショップで一人ひとりのお気持ちを聞いてみるとなおさらその思いが強くなった。
皆私が考えていた以上に「何かしなければ」という思いを強くもたれていた。

その診療所医師のグループに懐かしい顔を見つけた。
K医師である。
K医師とはこれまでたった一度しかお会いしていない。
たった一度だが忘れられない場面と出会いだった。
K医師のお父さんは脳卒中後遺症でほぼ寝たきりの状態だった。
病院や施設をとても嫌がり、その在宅生活を見守るために当院から定期的に訪問診療をしていた。
お父さんは古くからの開業医で、地域に根付きとても信頼されていた方だ。
川沿いの高台にあるお宅は緑深く川風が吹き、広いが質素な住居は昭和のお医者さんの何ともいえないいい雰囲気を持った、そんな家だった。
お父上は穏やかで、おぼつかない口調ではあるが昔の話をしてくれ、帰る時には別れを惜しんでくれたり、と私はそこに行くのをとても楽しみにしていた。
K医師はその同じ敷地内で内科を開業されていた。
そんなある日の訪問時、私が看護師と入っていくと奥が何かざわついている。「おやじー、」と大声で呼ぶ声もする。何か異変があったに違いない。
二人は声のする方に飛び込んで行った。
そこでは、意識のないお父上をK医師が抱きかかえようとしているところだった。
トイレで倒れて意識がなくなってしまい、それを聞いたK医師が診療所からたった今飛んできたところだった。
診療所の看護師と合わせて医師二人、看護師二人、四人で居間のベッドにまで運んだ。
K医師がバイタルサインをチェックする。
手がもつれて器具が転がり落ちる。血圧は低いが何とか保っているようだ。
とりあえず静脈確保しよう、ということになった。
当院看護師がセットし点滴針を私に渡した。
私は、この場の主治医はK医師だと思ったのでその針を彼に手渡した。
点滴が始まった。
もちろん誰も救急車を呼ぼうなどとは一言も言わない。
最悪の結果であったとしてもこの状態で診よう、ということが暗黙のうちに決まっていた。
そうこうしているうちにお父上の真っ青だった顔に次第に赤みが差してきた。何度呼びかけても反応のなかった顔がかすかに動き始めた。
皆でさらに呼び掛けた。
その間10分くらいだったか。瞬間、目がぱっと開き、皆を見まわした。
ヨカッター。私が声をかけるとにっこり笑われた。
安堵の空気が部屋を満たした。
K医師はそこでやっと肩の力を抜いたようだった。
私たちとは初めてそこでごあいさつを交わしたように覚えている。
お父上の身に何があったかははっきりしない。大した医療行為をしたわけでもない。でも、K医師にとっては大変緊張した場面だったと思う。
在宅ではいろいろな場面に出会うが、そんな私にとっても思い出に強く残る場面だった。
講習会が終わってK医師と改めてごあいさつをした。
「いやー、あの時は夢中で、ご挨拶もできませんで失礼しました。」
「あの時は自分は医者だということを忘れていました。すっかり一人の息子になりきっていました。」
そんなK医師とまた、別の患者さん宅で出会うのを楽しみにしている。

by一夫





  2008年 10月 23日 (木)

患者さんが作った時間


医師より家族へ、今後予測される状態と鎮静方法など緩和ケアについての話がなされた。
数日後、朝から痰がゴロゴロしている状態とコールがあった。
患者さんは、呼びかけに対して顔を動かすくらいの状態。痰を吸引してみるが引けるのはわずかの量。痰がすっきりすることなくゴロゴロは続く。
医師も訪問し、ステロイド剤を使用しても大きな改善はない。

家族「見た感じは苦しそうですが、苦しくないですか?」
私「痰が出せない不快感はあると思いますが、呼吸が苦しい状態ではありません。」

家族「眠らせる事は・ お別れになってしまうかもしれない。お父さんは自然を望むと思う。眠らせたらゴロゴロは治るの?」                
私「眠らせてあげてもゴロゴロは変らないと思います。」

家族「苦しくないなら、父と一緒に頑張りたい。その為に家で看ることにしたんだから・・・」

苦しい状態でないと言ったものの半分不安もあった。
「これで大丈夫だろうか?」
「この状態がどのくらい見守っていられるだろうか?」
しばらくの間、私は、そこにお邪魔させてもらった。

時間と共にその空間の中には、夫婦、親子の自然な関係が作り出されていた。
それを見て私は安心して次の訪問に向かった。

そして、数時間後、家族だけの看取りができた。
患者さんの表情はとても穏やかな顔で笑っているようだった。

家族「お父さん、笑っているみたい。苦しくなかったんだね。眠らせなくて良かった。」

私は、その家族の言葉で良い結果だったということが確認できた。
患者さんが家族のために作った最期の時間だったに違いない。

by元子





  2008年 10月 21日 (火)

事務員往診同行記


今日は、木曜日。
午前の外来は休診だ〜と遅番の私はのほほ〜んモードだった。
しかし、院長の突然の一言でしゃっきりモードに変わらざるをえなくなった。
往診に同行しないかというのだ。
「えーっっ!!突然すぎる。心の準備が・・・。」
前もっていっておくと緊張して構えてしまう私の性格を知ってか、院長はいっつもこの手を使う。悩む暇もなく行くことになる。
訪問車は、院長のじゃじゃ馬アルファGT。院長が運転席に、N看護師が助手席。私は、がらくた(ごめんなさい)を、かきわけてできた後部座席にチョコンと座った。

1軒目。
明るくて気さくな奥様に迎えられた。
病院から家に帰ってきて、患者さんも奥様も本当に嬉しそうだった。
寝てばかりいるという患者さんに、院長が「ちょっと起き上がってみましょうか。」と声をかけ椅子にすわっていただいた。
患者さんはにっこりと、嬉しそうに微笑まれた。
私もなんだか嬉しくなった。やっぱり家が一番なんだな〜。(^.^)

2軒目
痛みで寝たきり、とても我慢強いおばあ様。
「あたしゃ、今まで、どんなことだって辛抱できた。だけどこの痛みだけはなんとかしてもらいたい。」という患者さんに、院長が「だいじょうぶ。11月の初め頃には、一人でトイレにいけるようになってるから、安心して。」と真剣な眼差しで患者さんに話しかけていた。
患者さんは「そうですか〜」と、とても嬉しそうな表情をされた。
院長のことを尊師様のようだと手を合わせた患者さんがいたが、私にもそう見えてきた。(^_-)-☆

3軒目
外来にも何度もみえている患者さんだったので、ちょっと安心感があった。
私は、いつも介護をしているご主人の手際の良さに驚いてしまった。
移動の時は、奥様をひょいとお姫様だっこして車椅子に移し、処置の介助もまるで看護師のよう!金属のお皿を、奥様の皮膚につける前にご自分の手をこすりつけ、冷たくないように暖めていたお姿から、奥様への深い愛情が感じられた。
私も、こんな思いやりのある伴侶を早くみつけたい。(*^_^*)

往診同行終了。
やっぱり行ってよかった。
患者さんやその家族が、それぞれの家庭でその人らしく生活しようとしていた。
そんな方々の手助けをしている医師や看護師の実際の姿を観察することができた。
それぞれの家庭に、まるで親戚のように自然に入り込み、そして本当に患者さんやその家族を思い、やさしい笑顔で接しているスタッフの姿があった。
そんなスタッフと一緒に仕事ができることを誇りに思う。

それから、なにもできずに、そこにいただけの私にさえも、ありがとうと声をかけてくださったり、握手してくださった患者さんやご家族の方々、こちらこそありがとうございました。

事務員も今まで以上に頑張ります。

by淳子





  2008年 10月 16日 (木)

「ぴかぴか」のもと


先日、当院の中材に勤める方が、白内障の手術をした。
彼女は職員の昼食も作ってくださる。

これがまたすばらしく美味しい

そんな彼女が手術のお陰でよく見えるようになったらしい
本当に良かった

彼女が職場復帰後、
1日がたち2日がたち当院の食堂や中材室が以前よりきれいになっていく
と言うより磨きがかかり「ぴかぴか」になっていく
彼女と話をしたら、目が良くなり見るところ全てが気になって仕方がないらしい

そのお陰で「ぴかぴか」になっていく
このままいけば当院は、1年で全てが光輝くかもしれない

私自身も知らぬ間に磨かれているかもしれない・・・・

by涼賀





  2008年 10月 11日 (土)

『水をたっぷり飲みてぇ〜』


『家につれて帰りたい』という家族の連絡を受け萬田が病院訪問。
脳転移で意識状態が悪化し入院、殆ど会話ができないという患者に面会する。意識障害のため、体幹抑制(ベットにしばられて)されていた。

「家に帰りたいですか?」本人の意思を確かめる。
「あんたら、助けに来てくれたんか?」
『水をたっぷり飲みてぇ〜』
「なんで縛られてんだかわかんね〜」
「ゆ〜っくり風呂は入りてぇ〜」

家族がびっくり。
こんなにはっきり意思表示が出来るなんて! 帰りたいんだ。
風呂に入りたいんだとわかり、妻も娘も大泣き。

家族の涙を見て 『帰りましょう』 と即決した。

翌日の退院は小笠原が対応。 
奥さんと娘とが待機している患者さん宅へ、先に到着して本人の帰宅を待っていた。
やがて介護タクシーで到着した患者さんは担架で運ばれる間中首を起こして見回している。
皆で庭から直接部屋に運びあげた。
さらに首を起こして見回している。
その瞬間、何ともいえない笑顔で顔をくしゃくしゃにした。
「おとうちゃん、家だよー。」妻、娘も同じ顔をして呼びかけている。
「良かったねー家に帰れて。水飲みたかったでしょう。さぁ飲もう飲もう。奥さん水もって来て下さい」
さっそく出てきた水。何日も飲みたくっても飲めなかった水。
のんべえが出てきたお酒に顎から迎えに行くような、そんな恰好での一口。
『う、うめえ〜っ』とまたニッコリ。
よかったー。
そしてさらにはっきりした声で言った。「てんぷらうどんが食いてえ」
そんな言葉が出ることだけでうれしい。
しかも、てんぷらうどんは自分のだけというのでなく皆のお昼を心配して言っている。
今部屋にいる人の分だけ注文しようとしているのだ。時計をちゃんと見ている。
今、11時20分。不自由で苦しい入院生活から数週間ぶりに帰ってきた患者さんにもらった極上の時間だ。

それから2週間少し。点滴も尿カテもない。意識の波はあったが、家族と穏やかに会話し食事もわずかだが好きなものを食べた。晩酌もした。訪問入浴を気に入ってくれ、窓の外を眺めて入浴チームを待っていた。そして4回目の訪問入浴の後、何にも縛られず、家族に見守られながら眠りについた。

by緑平〜一夫〜緑平











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