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  HOME 診療日記(在宅ホスピス編) 「幸せのさなかに」
  2013年 3月 16日 (土)

「幸せのさなかに」


Ayuko

「今夜でもおかしくない状態です。ご主人とあの世での待ち合わせ場所を決めておいてくださいね」
診察の後、玄関の外で医師は私にそう言った。
看護師が、「奥さん、しっかり」と肩を抱きしめてくれた。
その途端に涙があふれ出た。

医師らの車を見送った後、私は涙をぬぐい、寝ている夫の部屋に何気ない顔をして戻った。
夫が私に訊ねる。
「外で何か話していたの?」
「うん」
「何だって?」
「もう話せる時間はあまりないかもしれないって」
「そう、それはすぐってこと?」
「うん、今夜かもしれないって」
「そう、それは大変だね」
夫はまるで人ごとのように、いつもと変わらない調子でそう言った。

昨年の秋、腸閉塞で入院。大腸ガンだった。
すでに腹膜に転移しており、手術をしても完治は望めなかった。
それを知った時の私のショックは大きく、胸が張り裂けるという感覚を初めて経験した。
けれど当人は、まるで動揺などしていないかのようにこう言った。
「人間は誰でも生まれたときから死に向かって一歩一歩近づいている。それはガンであってもなくても同じことだ。だからこれまでと何も変わらない。楽しいことを考えて笑顔で過ごしていこうや」と。
私はその言葉に頷き、近い将来ひとりになってしまう不安を心の奥深くに沈ませた。残された時間を不安におびえて台無しにしないように、今まで通り夫とふたり、毎日を心穏やかに楽しく過ごしていこうと決めた。

手術の後、総合病院の外科医は、すぐに化学療法をと勧めたが、夫はこれを断り、なるべく自然に近い状態での生活を続けていくことにした。
これは治療をあきらめたということでは決してない。
むしろ積極的に、「自然療法」という治療法を選択したのだった。

余命まで告げられている状況に、私たちは出来る限りの情報を集め検討し、結果この選択をした。
「今ここをあるがままに」というこれまでの人生観に根差した結論でもあった。
知り合いの漢方薬剤師から、薬の処方と日常生活のアドバイスをいただいた。
「ガンは本来静かな病です。自然の流れに従えば恐れるような苦痛はないのです。身体の免疫力を上げて良い状態を維持していきましょう」                     
私たちは家庭菜園で採れた野菜で玄米菜食を楽しみ、気功を行い瞑想をし、近くの田畑の小道を毎日ふたりでのんびりと散策した。
秋から冬、冬から春へと移ろう季節の中に、ふたりの時間をたっぷりと浸み込ませるように。
自分たちが自然の一部であるということをこんなにも身近に感じたことはあっただろうか。
命を得たものは必ず滅する。それは自然の理だ。いずれ死が訪れるときには、自然のままに枯れるように逝きたいということは、身近な人の死を経験するたびに、ふたりで話し合ってきたことだった。
そういう死の迎え方を可能にしたのは、訪問緩和ケア診療所との出会いがあった。
食が細くなってきた春先、先の薬剤師に紹介され、その診療所を訪ねた。
医師は「病院でできて家でできない治療は何もありません。痛みのコントロールも十分可能です」とにこやかな表情でさらりと言った。
医師はその言葉の通り、腹水を抜く処置を一時間足らずで鮮やかに行った。
医師と看護師と夫と私四人で談笑しながらごく自然な流れのなかで。
私はこの時、彼らの高い医療技術に信頼をもった。
同時に、夫を病人としてではなくひとりの人間として対応してくれていることが嬉しかった。
今まで通り自宅で過ごすことへの不安は何もなくなった。
その後も医師らの適切な処置のおかげで痛みも苦痛もほとんどなく過ごすことができた。
のんびりと心穏やかに、病になる前と同様に夫とふたり様々な事柄を語りあい、今生きていることの幸せを味わった。

初夏を思わせる温かな夕暮れ時、医師は言った。
「私たちはおふたりのお別れの時間をできるだけ良い状態で過ごせるように、できる限りの方法を使っています。けれどそれには限りがあります。魔法の時間はもうあまり長くはありません。大切に使ってくださいね」
あるいは魔法だったのかもしれない。
何の医療機器に繋がれることなく、数種類の薬と看護師の温かなケアだけで、最後の日まで穏やかな時間を過ごすことができた。
身近な人たちと感謝の言葉を交わすゆとりを持って、死を迎えることができたのだった。

常に「今」を生きてきた夫には、最期にあたってやりたいことも会いたい人もいなかった。
私たちはただただ、ふたり一緒の時間を少しでも長く過ごしたかった。
私は貴重な時間の一瞬一瞬を心に刻みつけた。
それは三十二年間のふたりの生活の終わりに、これ以上ない深い愛情と絆を感じられた幸福な時間でさえあった。
夫は以前から「死は別の存在形態への移行点にすぎない」と言っていた。
私もそれを受け入れ夫の死をひとり心静かに看取ることができたのだった。
幸せのさなかに・・・。





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